2012年1月13日


C★NOVELS
日本警察組織の限界と盲点を衝いた凶悪犯罪を暴き出すために設立された日本版FBI「SRO」。その調査員たちの活躍を描く、書き下ろし新時代警察小説!!
刊行日:2009/10/25
新書判/328ページ/定価1050円(本体1000円)
ISBN978-4-12-501092-2 C0293
わたしが『修羅の跫』という作品でデビューしたのは1998年ですから、かれこれ作家として十年以上の歳月を過ごしてきたことになります。
初めの頃は無我夢中で、とにかく、目の前にある仕事をこなすことで精一杯という感じでした。
ようやく立ち止まって、それまでにこなした仕事を振り返る余裕ができたのは2005年に『陰陽寮』というシリーズを完結させたときでした。伝奇という手法で、平安時代を舞台に本伝十巻、外伝三巻という長いシリーズだったので、これからは平安時代を離れて、それまでとは違うことをやってみたいと考えました。
古代の日本を舞台に、自分なりの新たな聖徳太子像を考えたいと思って『太子暗黒伝』を書き、江戸時代の市井物という、時代小説の王道ともいえる分野に挑戦したいと考えて『すみだ川物語』や『市太郎人情控』を書きました。『堂島物語』を書いたのは江戸時代の米相場という、手垢の付いていない新鮮な素材に魅力を感じたからです。
ここ数年、自分なりのテーマを見付けて、それに挑んでいくというスタイルで小説を書いてきたわけですが、『とむらい組』というシリーズを書いている頃から、自分の物語の作り方がパターン化してきたように感じました。
わたしが新しい小説を構想するときには、まず、キャラクターを作っていき、そこからプロットを膨らませるというやり方をします。キャラクターの掘り下げが深まるほど、そのキャラクターがどう動くのか作者にもわからないわけで、そうすると、プロットも面白いものになっていくわけです。
ところが、あるとき、キャラクター表を眺めていたら、プロットの流れが最後まで見通せるということがありました。こういう風にメインとなる事件が起こって、それにこんなサイドエピソードが絡まって、最後はこんなクライマックスになる......そんな感じです。
ある意味、それはありがたい話で、作者としては執筆が楽なのですが、同時に退屈な作業でもあります。人によって考え方が違うでしょうが、わたしは小説の結末がわからないまま、どんな着地が待っているか予想もつかず、そもそも、着地できるかどうかわからないというように、ドキドキしながら執筆していくのが好きなのです。作者にも結末がわからないのだから読者にも予想できるはずがない、だかせこそ、意外性のある結末が用意できる、それがわたしの信条だからです。予定調和的な結末が最初から用意されているような小説を書きたいとは思わないわけです。(←臍曲がりですよね。自分でも、時々、嫌になりますから)
そんなことがあって、わたしは、ハラハラドキドキしながら執筆できる物語を探し始めました。今まで書いたことがない時代、扱ったことのない素材......縄文時代、室町時代、明治時代とか、いろいろ考えて、ふと、
(現代があるじゃないか)
と気付きました。
現代を舞台にして、ハラハラドキドキできて、しかも、自分が好きな素材は何か。そこまで考えが進むと、突然、目の前に視界が開けました。
元々、ミステリーは小説で読むのも好きだし、テレビや映画もよく見ます。『クリミナルマインド』とか『24』、『CSI』のようなテレビシリーズの大ファンなんです。そんなテレビや映画を見ながら、自分ならこうするのに、ああするのにと思い浮かんだアイデアをメモに取ったりしていました。そのメモをまとめたノートを改めて眺めてみると、すぐに何人かのキャラクターが立ち上がってきました。山根新九郎とか針谷太一、それに近藤房子もすぐに思い浮かびました。キャラクターが増えるに従って、プロットも膨らみ始めました。
そんな成り行きで執筆を始めたところ、今までにないほど新鮮な気持ちで、楽しく仕事が捗りました。初稿を脱稿したとき、この小説は1300枚ありました。それを削って1100枚になったところで編集者に読んでもらいましたが、
「こんな長い小説、出せませんよ」
と言われて、なるほど、歴史小説では1000枚くらい当たり前だが、現代物のミステリーで1100枚もあると長すぎるのだなあ、と反省し、また、せっせと削りました。削りすぎてキャラクターの陰影がぼやけると、その部分を新たに補強したりして、しつこく手直ししているうちに最終的に700枚くらいになって、それが完成稿です。
(すごいなあ、600枚も削ったのか。何事もやればできるものだなあ......)
半ば呆然としつつ、著者校を眺めました。
この『SR○』を執筆した裏にはそんな事情があって、作者であるわたしは、この小説の執筆を大いに楽しんだわけですが、何よりも肝心なのは、読者の皆さんがこの小説を読んで面白さを感じてくれるかどうかということです。もし楽しんでいただければ、これにまさる喜びはありません。
〔富樫倫太郎/2009年10月〕